2007年06月11日

築庭以後:兼六園の歴史

■兼六園の始まり
兼六園の築庭は、城に面する傾斜地の部分からはじまります。
延宝4年、5代藩主・綱紀(つなのり)が、作事所を再び城内へ戻して自己の別荘を建て、その周りを庭園化したのが作庭の始期だと言われています。

築庭された頃は呼「蓮池庭(れんちてい)」と呼称され。
観月や観楓などの宴を楽しむ清遊の場として、大いに活用されていたそうです。

歴代藩主や老臣に深く愛された蓮池庭ですが、宝暦9年におきた大火で、一部を残し焼失してしまいます。その後、11代藩主・治脩(はるなが)により、復興され、安永3年、翠滝と夕顔亭、同5年に内橋亭を造営し、ほぼ整備は完了します。


■藩主の意向により変遷を遂げてきた「千歳台」
蓮池庭上部にある平坦な地を「千歳台(ちとせだい)」と呼びます。藩主によって様々な使い方をされ、千歳台はめまぐるしい変遷を遂げてきました。

藩政時代も半ばを過ぎた寛政4年、治脩は藩校「明倫堂(めいりんどう)」と「経武館(けいぶかん)」を創建します。
治脩の後を継ぎ12代藩主となった斉広(なりなが)は、先代が開校した藩校を移転させ、文政五年、その跡地に自己の隠居所「竹沢御殿」を造営。同年、斉広の依頼に応じた奥州白河藩主・松平定信によって現在の呼称である「兼六園」と命名されました。

斉広の没後の、幕末を目の前に迫った嘉永4年。
建坪4000坪、部屋数200を超える豪壮な御殿、竹沢御殿は、嫡子で13代 藩主・斉泰(なりやす)によって取り壊され、池を掘り広げたり新たに木を植えるなどして、千歳台を隣接している蓮池庭と一体化させ、一大庭園をつくりあげていきました。


■兼六園関連動画



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posted by onuma at 15:38| 兼六園について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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